ウオーキング歩く.com

歩いて健康!

500本の桜やツツジを楽しめる水沢公園の魅力を大紹介!高野長英記念館がある歴史的物語を秘めた桜の名所

約 1 分
500本の桜やツツジを楽しめる水沢公園の魅力を大紹介!高野長英記念館がある歴史的物語を秘めた桜の名所

水沢公園は、岩手県奥州市にある都市公園です。1878年(明治11)年に、放浪の画家でもあり造園家でもあった蓑虫山人が造園した公園と伝えられています。水沢公園は桜の名所として名高く、毎年4月下旬頃には500本の桜が公園内を春色に染め上げます。ことに、樹齢350年前後のヒガン系桜の古木が林立する様は、他に例を見ません。これらの古木群は、岩手県天然記念物に指定されています。桜が散る頃には、公園内は色鮮やかなツツジの花に包まれます。公園内には、水沢町の生まれである高野長英記念館があります。館内の資料の多くが国の重要文化財に指定されており、一見の価値ありです。水沢公園には、多くの銅像や碑が建立されています。明治の大政治家・後藤新平の2体の銅像、第30代内閣総理大臣・斎藤実の銅像、高野長英の碑、芭蕉の句碑、正岡子規の句碑、戊辰戦争の弔魂碑、水沢公園史碑、太宰先生之碑、国体記念碑など、盛りだくさんです。また公園内には深い歴史を秘める駒形神社や、松平悦子(黒田光之の娘)の墓、七重の塔などもあります。市民のスポーツと憩いの場としても水沢公園は親しまれており、野球場・陸上競技場・テニスコートや遊具場のあるロケット公園、築山之池や噴水などが整備されています。

水沢公園の基本データ

・住所: 岩手県奥州市水沢区中上野町1-1
・入園料: 無料
・営業時間: 終日開放
・定休日: なし
・交通アクセス: 【電車・バスをご利用の場合】JR水沢江刺駅より車で15分 / JR東北本線水沢駅より徒歩10分
【マイカーをご利用の場合】東北自動車道水沢ICより15分
・駐車場の有無: あり / 168台 / 普通自動車12時間につき300円(24時間を超える場合は12時間で400円)、大型車12時間につき500円
・問い合わせ先: 奥州市都市計画課(電話:0197-24-2111)

水沢公園のイベント情報

4月中旬~5月上旬、「水沢公園桜まつり」が開催されます。
桜がライトアップされ、モツ煮が名物のお花見食堂や露店などが立ち並びます。

10月中旬、「奥州水沢グルメまつり」が開催されます。
南部鉄器でできている、直径3.5メートル、重さ5トンという日本一大きなジャンボ鉄鍋で作る芋の子汁が、6,000人分振舞われます。

水沢公園の高野長英記念館

高野長英は1804年(文化元)5月5日に水沢で生まれました。高野長英は旧態依然とした幕府を批判し、幕末の先覚者として名を馳せた人物です。幕府批判によって蛮社の獄につながれた長英は、その獄中で「角筆」という特殊な筆記用具を使って「角筆漢詩」と呼ばれる文書を残しています。その現物を、高野長英記念館で見ることができます。一見すると、ただの真っ白な紙にしか見えませんが、近づいて見てみると、光線の加減によって紙に刻んだ文字が浮かび上がって見えてきます。獄中で墨などを使えなかった長英が、牢番の目を盗み、必死に書いたものと思われます。牢につながられても、めげることのない長英の精神力の強さが、感じられます。その漢詩には、脱獄への意志を密かに表していると思われる内容が記されており、貴重な資料になっています。牢で火事を起こして脱獄した長英は、その後逃亡生活を送り、やがて顔に火傷をわざと負って人相を変え、再び家族と暮らしはじめますが、最後は非業の死を遂げることになります。しかし、国を憂い、日本の夜明けのために生涯を捧げた長英の思いは、現代にも語り継がれ、今なお、多くの感動を生んでいます。高野長英記念館に所蔵されている長英の翻訳書や手紙などの関係資料58点は、国の重要文化財に指定されています。

水沢公園でウォーキングをする魅力

水沢公園でウォーキングするには、公園内に多く残る碑や銅像などを巡って歴史探訪をしてみるとよいでしょう。あまりにも公園内は広いため、なにかテーマをもって歩かないと、たちまち迷子になってしまいそうです。それぞれの碑や銅像などの謂われをネットなどで調べてから行くと、感慨もひとしおとなります。たとえば、松平悦子の墓です。松平悦子は福岡藩主黒田光之の三女です。寛文7(1667)年、水沢伊達氏第4代当主の伊達宗景が江戸詰めの際に、悦子と恋に落ちます。いわゆる相思相愛です。ところが、障害となったのが格式です。福岡藩は54万石、対する水沢藩は1万6000石しかなく、しかも仙台藩の陪臣に過ぎないとあって、二人は身分違いとして引き裂かれそうになります。ロミオとジュリエットのようなものです。ところが、二人の真剣な愛に周りの大人たちが次第に感化され、家の格式を乗り越えるための大作戦が敢行されます。悦子を幕臣である松平氏のもとに養女として出し、無理矢理にでも格式を下げて、家格を合わせようという大技です。伊達家のお家騒動などが微妙に絡み合い、すったもんだの末に、この作戦は成功して、悦子は無事に伊達宗景のもとに嫁ぐことになります。江戸の時代に家格を乗り越えて恋愛結婚を果たすなんてことは、尋常ではありません。二人の愛が生んだ奇跡といえるでしょう。宗景20歳、悦子17歳のときに、二人は結ばれます。しかし、幸せは長くは続きませんでした。伊達宗景は流行病の疱瘡にかかり、26歳の若さで死去します。その翌年、あとを追うように悦子も24歳の短い生涯を閉じました。悦子の墓の前に立つと、二人の純粋な愛の物語と、はかなくも悲しい結末に、胸が塞がれます。歴史探訪を兼ねてのウォーキングに、ぜひ挑戦してみてくださいね。散策の途中で、壊れたラッパのような音が聞こえてきたら、それは公園内で飼われている孔雀です。ときどき放し飼いされるらしく、散策の途中で目にすることもあります。

ウォーキング資格講座  ウォーキング資格講座

Leave A Reply

*
*
* (公開されません)